1. 株式会社タスカジ 和田 幸子 氏

東京都創業NETインタビュー

株式会社タスカジ 社長 和田 幸子 氏

株式会社タスカジ代表取締役
和田 幸子 氏
1975年生まれ。99年 横浜国立大学経営学部を卒業後、富士通に入社。エンジニアとしてERP製品の開発に携わった。2005年 富士通の企業派遣制度で慶應義塾大学大学院 経営管理研究科へ留学し、MBAを取得。
2008年 第一子出産。13年11月 自身の課題である共働き家庭における「新しいライフスタイル」の実現に必要な社会インフラを「IT」で作るため、起業。ITを軸とした新サービス『タスカジ』の立ち上げを行っている。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2018「働き方改革サポート賞」受賞

型決めされていない「家事代行サービス」をオンラインで提供

50歳を目標に起業を考えていた、タスカジの和田幸子社長。新卒入社した富士通での新規事業立上げを通じて、起業への思いを強める。経営者視点を学ぶためにMBA留学し、起業するもサービス提供前に頓挫。その経験を糧に、起業に再挑戦した。自身の課題でもある「家事と仕事の両立」を実現するため、型決めされていない家事代行サービスをオンライン上で提供する「タスカジ」を立ち上げた創業5年目の和田社長に、今後の展望などを聞いた。

1度目の起業で頓挫。立上げは少人数で、自分の課題感が強い事業で。

和田 幸子インタビュー01

新卒で富士通に入社し、システムエンジニア(SE)を経て、新規事業を担当していました。ゼロからイチを立ち上げるのが好きでしたが組織が大きい分、動きづらい側面もあり、歯がゆい思いを抱えていました。それならば自分の資本で思い描く世界を実現できればと起業を決意。借金など起業に対するマイナスのイメージもありましたが、大手企業で働く中で、堅実なやり方もあることを学びました。

SEとして入社したのはいくつかの将来の選択肢の中に「起業」もあったからです。会社をつくるのであればITリテラシーが社長には求められると予測しました。世の中に役立つプログラムを組もうと意気込んで入社したものの、自分よりうまくプログラミングできる人は山ほどいて、一瞬で挫折します。とはいえ、SEの業務はプログラムだけではなく、担当工程が広いので、ユーザーにヒアリングして要件をつくり、プログラマーに橋渡しする「設計」という工程だけはできるよう目標を設定しました。それがある程度できるようになると、戦略、経営視点レベルでものの見方が出来ればと思い、30歳のときに社内の留学制度を活用し、2年間、慶應義塾大学のビジネススクールに行きました。

ビジネススクール1年目は授業が詰まっていて忙しいですが、2年目も後半になると授業が少し減ってきます。このタイミングで結婚、起業しました。
MBAの同級生等10人と一緒に起業。創業メンバーの一人でしたが、会社をつくったものの、サービス提供前に頓挫し、ここで挫折を味わいます。要因は収益モデルを作れなかったことでしたが、創業メンバーが多すぎたことや私の課題感とは全く関係ないテーマで立ち上げたことなどもあると思います。

人数が多かった理由は、起業の初心者だったのでいっぱい人がいるほうが有利だろうと考えたからです。でも、決まったテーマがどうしても私が人生をかけてやらなければいけないというふうに思い込めるものではなかったのが一つの原因かと振り返ります。メンバーが多いと同じ方向に足並みをそろえるだけで時間がかかってしまうので、最初は少人数でやる方が良いと学びました。

当時は金銭的に大きく失敗したというよりは起業に向いてないのではと落ち込みましたね。

新規事業立上げで自身の弱みを克服

和田 幸子インタビュー02

挫折感を抱えながらも新たな事業を立ち上げることは楽しい、と悶々とした気持ちを抱えた数年間でした。その中でまだまだ身につけなくてはならないスキルがあると自覚し、今度は古巣の部署に戻り、事業管理の仕事を担当させてもらいました。「事業管理」は新規事業の中でも売上や費用の管理、投資の予定を立てたりという経営に近いことをやらせてもらいただきました。最初は本当に売り上げが予定通りにあがらず、費用をかけずに売上があがるポイントまで耐えたり、何事も予定通りにはいかないけれど、次の手、次の手でアイデア勝負で、お金をかけずにアイデアを出したり・・・というような経験をしました。それがまるまる起業した今につながっている感じです。

SEの「設計」の仕事をある程度覚え、新規事業を任されて工夫を重ねる中でスキルがつくのを着実に感じていましたが、ひとつだけ起業に踏み切るのに躊躇した点があります。人に説明することが下手で、経営者になるには致命的だと思っていました。いくら説明しても、言っていることが分からないと言われ、プレゼン資料を作ってもダメ出しされる。ただ、新規事業立上げを経験するなかで、繰り返し繰り返し説明することにトライしていると下手なのも少しずつ解消されていって、社内で新しい知見を貯めた人が自身の経験を発表する、年に一度の大プレゼンテーション大会でプレゼンし、SE3万人の大会で優勝しました。論文も入賞しダブル受賞したことが大きな自信につながりました。

自身の課題感が強い「家事と仕事の両立」をテーマに起業

和田 幸子インタビュー03

先ほどお伝えしましたが、ひとつ前の起業ではネタも失敗要因でしたので、自分の課題感に紐づくテーマをずっと探していました。仕事は楽しいけれど、子育てしながらどうキャリアをつくろうと考えたときに、子育て中の女性がキャリアをつくりづらいという現実がありました。この誰に向けたらいいか分からない怒りに近い悶々としたエネルギーを起業に代えられたらという思いが、私しかやれない、私がやりたいテーマになりました。

料理や掃除は嫌いではないけれど、仕事も全力で頑張りたい・・・家事をしないでも家庭をつくれる方法はないか、独身時代からずっと考えていました。その一つが家事を一緒にやってくれる人と結婚すること(笑)で、そういう夫と結婚しましたが実際に結婚して、子どもが生まれると二人でもやりきれない。それをどうするかというのが私の大きなテーマで、これを解決しようと思ったのが起業のきっかけです。

前回の失敗を受けて、今度は一人で起業しました。何をやりたいかは明確になっていたので、まずはある程度自分で形にしようと奔走しました。10ページほどの事業計画書をつくり、友人や友人の知り合いの起業家を紹介してもらい、ヒアリングを重ねました。ワーキングマザーのコミュニティを運営しているところ、お父さんたちのコミュニティ、いろいろなところに行き、フィードバックが少しずつ積み重なり、面白いことに10人目になると方向性が見えてきます。この工程はビジネスモデルを否定されたり、私のスキル不足を指摘いただいたり、とてもしんどい作業でしたが、あらゆるリスクを洗い出すフェーズだと割り切って教えを請いました。指摘されたリスクをどう回避すればいいかわからないときに、次にアドバイスを求める人にリスクの回避方法を聞いていましたね。

費用をかけずに工夫することが競争優位につながる

和田 幸子インタビュー04

起業する少し前に私自身がネットでハウスキーパーさんと出会い、柔軟に対応いただいたことが、起業の原点になっています。個人間取引だと、既にメニューが決まっている家事代行サービスに比べて、「これはできる?」「あれできる?」というリクエストに応えていただき、柔軟に家事をやっていただけるととても高い満足感を得ました。オンライン上の取引は人を介さないため、料金を抑えられることも魅力です。「SE」と「家事」は一見結びつきませんが、ITを使ったプラットフォーム上で、サービス利用者と提供者を結びつける「シェアリングエコノミー」ビジネスは、前職時代の経験を活かしてサービスを構築することができました。

サービス提供に当たり、利用者を探すのも大変でしたが、ハウスキーパーの方がどこにいるかも分からず、悩みました。ウェブで求人広告を出すとそれだけで30万円かかると聞き、資本金が200万円しかないのに費用はかけられないと日本人の方は諦めました。

私が起業前にネットで出会ったハウスキーパーさんはフィリピンの方です。その為、フィリピンの方は日本人より平均的に家事スキルが高く、フリーランスのハウスキーパーとして働きたい方がたくさんいらっしゃることを知っていましたので、そういう方と利用者を結び付けられればと思いました。一方、利用者の中には一定層で外国語に触れたいとか、子どもに触れさせたいという層があることも分かっていましたので、ここをマッチングしたらいいと思いました。広告は出稿できませんでしたが、外国人用のスーパーに募集の張り紙を貼らせてもらったり、フィリピンの人たちは週末に教会に行くので教会でビラを配ったりして、働く人を集めました。もちろん外国人が日本でハウスキーパーとして働くには永住権を持っているなど様々な条件をクリアする必要がありますが、そのような法的な条件も専門家にヒアリングしたりネットで情報収集して、法令違反を侵さないよう慎重に進めることも心がけました。

富士通時代の経験からも言えますが、事業を始めるときに必要なところ以外にはお金をかけずに、工夫で乗り切ることが競争優位につながります。

家庭と関係ない財源を確保する

和田 幸子インタビュー05

会社を立ち上げる資金は独身時代に貯めたものです。結婚前の資産はそれぞれのもので、結婚してからは家計にお金を入れる話になっていましたので、独身時代の貯金を起業資金に充てました。200万円だったら使ってしまっても納得できる金額だと思っていたので、念のため夫にも使うことを伝えましたが、家計とは違うところに財源を持ち、ここまでは自分の自由に使えるという状況で始めることが精神的にも良かったのだと思います。このほかに国民金融公庫の融資を受けたり、ベンチャーキャピタルやエンジェル資本が入ったりしています。

一人で立ち上げたのでキャッシュアウトが少なく、本業に集中できました。当初、思ったよりユーザーがつきませんでしたが、市場ができることは信じていました。ニーズがないからダメなのか文化がないからダメなのか見極めが重要でしたが、ヒアリングの感触からも文化をつくれば市場ができる自信はありました。

オンラインサービスでもオフラインで営業

和田 幸子インタビュー06

ターゲットがワーキングマザーであり、自分自身がワーキングマザーなので関連イベントがあれば大小関係なく足を運び、ブログでシェアしていただいたり、フェイスブックに「いいね」を押していただいたり、少しずつママ友の応援の輪が広がりました。仲良くなったママ友にはオフラインでお勧めのハウスキーパーさんを紹介したり、サービス利用の手続きをお伝えしたり。オンラインサービスですが、オフラインでの活動が多く、地道な活動が少しずつファンを増やしています。

マスコミの取材も、ブログなどで自分でつくりたい世界観を描いて発信すると、キーワードで検索いただいたりして取材いただいたりします。

今後は、ワーキングマザーのみならず、自分の親にサービスを利用したいという需要も増えています。現在は関東、近畿エリアがメーンですが、地方展開も広げられればと考えています。また、ハウスキーパーの方のスキルを高めるために、料理や洗濯など家事のスキルが広がるような教室も企画しています。

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