- トップページ
- 東京都創業NETインタビュー
- freecle Inc. 代表者 CEO 久保 聡介 氏
東京都創業NETインタビュー
freecle Inc. 代表者 CEO
久保 聡介 氏
鹿児島生まれ。中央大学法学部卒業。弁護士を目指していたが、テクノロジーで社会課題を解決したいという思いから起業を意識し始める。ITについて学ぶべく、日本IBMに就職し、戦略コンサルタントとして、最先端のIT技術を使った事業開発に従事。その後、マーケティングを学ぶために、外資系コンサルティングファームで1年間修業し、2017年4月に起業。現在に至る。
freecle Inc. Webサイト
テクノロジーで社会課題を解決する
freecle Inc.は、音声信号処理の技術を生かし、“聴きたい音を選べるヒアラブルデバイスの開発”によって難聴者の悩みを解決する製品を提供している。
会社名は、フリー(自由)とサイクル(循環)を掛け合わせた造語。「好奇心を信じ、自由な発想で新しい世界を切り開き続けよう」という思いが込められている。同社の第1号となる製品「able aid(エイブルエイド)」は、試作を重ね2019年10月に量産にまでこぎつけた。今年(2020年)10月には一般市場でのリリースが予定されている。
大学時代に、テクノロジーで世界を動かしたい!と決意する
弁護士を目指し法学部に進みましたが、大学時代の3つの体験がきっかけとなり、起業を目指すようになりました。
一つ目は、学生時代に運営に参加していた弁護士相談のポータルサイト「弁護士ドットコム」でのインターン経験です。弁護士ドットコムは、これまで一般の人にはハードルの高かった弁護士のサービスを誰でも簡単に利用できるという画期的な仕組みを作りました。テクノロジーで世の中を変えられるということを目の当たりにし、衝撃を受けました。
もう一つは、バックパッカーで旅をしたときのこと。TwitterやFacebookを使えばどんな僻地や貧困国にいても、世界中の情報が得られることを実感しました。テクノロジーが世の中をフラットにしていることに、また衝撃を受けました。
3つ目のきっかけは、新聞社でアルバイトしたことです。経済界の優れた人たちと出会う機会が多く、とても刺激になりましたし、自分もぜひビジネスの世界でプレイヤーになりたいと思いました。
これらの経験から、自分は弁護士になるよりも、テクノロジーを使って社会課題を解決したい、世界にインパクトを与える仕事をしたい、そう考えるようになりました。
社会人時代にITの知見とマーケティングの知識を磨く
ITについて学びたいと、日本IBMに就職。IBMは当時、IT企業の経営者を最も多く輩出していたことからも、何か学ぶことがあるのではと思いました。会社では戦略コンサルタントとして、大手企業のロボットやウエアラブルデバイスの開発、AIサービス等の開発に関わり、最先端のテクノロジーの可能性を直に見ることができました。しかし一方で、疑問も感じていました。私が関わるのは何百億円以上の新規事業を狙う大企業ばかりで、小規模のビジネスには消極的。
これでは大資本のある企業しかITテクノロジーを享受できないのではないか。それならば、自分は逆張りをしよう、もっと身近で小さな社会問題をテクノロジーで解決しよう。そう考えて、会社を辞める決心をしました。2016年のことです。
しかし、その後すぐに起業したわけではありません。IBMではモノづくりの知識を得ることはできましたが、モノをどう売るかあまり経験できませんでした。そこで、外資系のマーケティング会社で1年ほど修行をし、200万円の自己資金と、日本政策金融公庫からの融資を受け、2017年4月に起業しました。
200ものアイデアの中から商品化の可能性を探る
起業すると決めたものの、何を売るのかは決まっていませんでした。ただ、コンセプトははっきりしていました。それは、「人が抗えない問題をテクノロジーで解決する」ということ。人が抗うことができないものは何かと突き詰めて、時間、空間、身体能力、病気、人とのインタラクションという5つの要素に絞り込み、それらを掛け合わせて200以上ものアイデアを考えました。そのアイデアを、市場性、実現可能性、競合優位性からふるいにかけ、行きついたのが “聴きたい音を選べるソリューション(例:骨伝導スピーカーを搭載したメガネ型デバイス)”でした。
たとえば、オフィスで仕事をするとき、周囲の雑音が気になって集中できない。かといって耳栓をするわけにもいかない。そんなときに、ノイズキャンセリング技術を使って、無駄な音を打ち消せば、どんなに騒がしい場所にいてもそこがパーソナルスペースになる。そんなソリューションができないかと開発を始めました。
しかし、開発は困難を極め、結局、無駄な音を骨伝導で完全に消去することは技術的に不可能だということがわかりました。起業して9カ月頃のことです。私は事業を辞める決意さえしていました。
偶然の導きで、難聴者の課題解決という道が開ける
会社を畳むことも考えながら鹿児島の実家に帰ると、祖母が難聴気味なので補聴器を買ってあげたが使いたがらない、なんとかしてくれないか、と父から言われたんです。使わない理由を聞くと、補聴器はすべての音を大きくしてしまうので、雑音など不用な音も聞こえてしまい使いづらいからだと。
これは、自分たちが今まで取り組んできた技術が使える!と直感しました。
調べてみると、難聴者は国内に約1,500万人もいることがわかりました。しかし補聴器を使っている人はわずか約14%。理由は3つありました。一つは、すべての音を拾ってしまうので騒がしい場所では使えないこと。もう一つは、高額だということ。最低でも片耳30万円もする上、5年に1度は買い替えなければならず、年金で生活している高齢者が購入するのは難しい。そして3つ目の理由は、補聴器を購入するには店舗に出向いて調整が必要ですが、高齢の人にはこれがハードルになっているということ。
これらは、全部テクノロジーで解決できる。まさに、「人が抗えないことをテクノロジーで解決する」という私たちのコンセプトにもぴったりだと思いました。
そこで、祖母以外にも難聴者の方にヒアリングをし、3~4カ月でプロトタイプが完成。試作品を難聴者の方たちに使ってもらうと、すごく喜んでくれました。このとき、人が喜んでくれるということがこれほどまでに人をやる気にさせるのかと自分でも驚きました。実を言うと、起業は生易しいものではなく、金儲けのためだけではとても続けられません。でも、自分が作ったものでだれかが喜んでくれるなら、その人のために続けよう。そう強く思いました。以前は理詰めで勝てるビジネスを探していましたが、そんな自分が変わった瞬間でした。
資金集め、工場探し、多くの困難を経て、第1号機の量産モデルが完成
聴覚デバイス「αble aid」の試作品ができ、東京都の創業助成金、中小企業庁のものづくり補助金を獲得。クラウドファンディングにも参加し目標の881%超もの資金を集めることに成功し、大手眼鏡メーカーとの事業提携も決まりました。VCからの大型の資金調達もでき、いよいよ1号機の量産へと着手しました。
しかし、小ロットの注文に安価に応じてくれる工場は、全国回ってもどこにもありませんでした。そこで、中国の深圳(しんせん)の工場を開拓し契約。ところが、文化の違いや言葉の問題からうまくいかず、製品の品質が安定せず、結果的に1000万円以上もの投資をして頓挫。大きな痛手でしたね。
ところが、そこに救世主が現れました。鳥取で工場を経営している方が、わざわざ東京の当社まで来てくださり、「自分も10年前に起業をして同じような苦労をした。全面的に協力する」と申し出てくれたのです。そのおかげで、量産体制もでき、今年の10月には「αble aid」1号機をリリースできることとなりました。
ここまで来られたのは、運にも恵まれていましたが、スタッフたちの支えも大きかったですね。スタッフは現在5名。最初は全く給料を払えなかったので、私も含め皆、個人事業主として副業でお金を得ながら創業期を乗り切りました。
αble glass の量産第1号モデル。眼鏡に取り付けられたイヤホンには超小型のマイクを備え、周囲の騒音を最大99%軽減。店舗まで調整に行かなくてもスマホアプリで調整が可能で、価格も3万円を切る低価格。難聴に悩む多くの人たちの待望の製品だ。現在、6種類の特許を出願中。
夢は、日本発の世界的ブランドを作ること
起業に絶対必要なものは、“強い想い”と“あきらめない気持ち”だと思います。
起業は正直言って、とてもしんどい。辞める理由はいくらでもあります。私も何度も挫折を経験してきました。
それでも、好奇心を信じたい。面白いこと、わくわくすることをしたい。誰かの喜ぶ顔が見たい。土壇場では、「これをしなかったら自分の人生、絶対後悔する」という気持ちが支えになりました。
SONYやHONDAが私のあこがれです。海外に行っても誰でも知っている。そんな、日本人が誇れるブランド、世界でも勝負できる製品を作りたいですね。